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司会:幸田

食事の食、職業の職で「食と職」をテーマに、「食(農)を職業にする、百姓として生きる」をテーマにトークを始めます。よろしくお願いします。

まずねらいですが、地域活性化…とりわけどうやったら移住者に来てもらえるかと考えた時に、私は移住者が地域に移住する理由は、大きく分けて「安心安全な食べ物を自分で作りたい」「自然豊かな場所で子育てをしたい」この2つが大きな理由であると思っています。

しかし、実際地域で農業で食べていく=職業にすることは難しいですがが、それが成り立つようなやり方・仕組みが出来たら、住みやすい・人間らしく生きやすい地域という場所に、もっと都会から移住する人が増えるのではないかと思います。

今回5人のゲストは、農業を専業にしている人・半農半Xでしている人、作物も米・野菜・果物と、様々なスタンスで農に関わっている人達です。

そんなゲストに実際の話を聞くことで、「これから農業をしたい、仕事にしたい」と思っている人に、少しでもヒントになればいいと思います。まずはそれぞれに自己紹介してもらおうと思います。

「名前、住所、作物、農法、メッセージなど」をお願いします。


小山(岡山県赤磐市、屋号「パイポン畑」、妻と4人の子どもの5人暮らし)

岡山赤磐から来ました。パイポン畑の小山です。

田んぼを7反、豆を1反、それをお菓子など加工しながらやっています。


多田(佐治町 地域おこし協力隊)

2014年4月から地域おこし協力隊を利用して、農家を目指して佐治に移住しました。 畑が3反2畝、田んぼが4畝、自然栽培で取り組んでいます。


丸瀬(米子市、屋号「胡麻のアトリエ」)

米子から来ました「胡麻のアトリエ」という屋号で、3年前から自然栽培の胡麻を中心に胡麻を5反、白ネギを慣行栽培で3反、今年から米を7反、専業でやっています。


小林(通称ゴルゴ。八頭町、屋号「風鈴)

八頭町から来ました。ほぼ自給用ですが、機械を使わずにほぼ手作業で田んぼ2反、畑を2反やっています。


金田(佐治町 梨農家、妻と3人の子どもの4人暮らし)

出身は赤崎ですが、一度東京に出て、14年前にJターンという形で佐治に移住し、梨農家をしています。

梨は8割無農薬・無肥料の自然栽培でやっています。


幸田

こうして様々なスタンスの方々ですが、この中で家族を持っておられるのは小山さん・金田さんです。仕事にすると言うことは、家族を養っていくということだと思います。

専業・兼業もありますが、兼業ならどこでどんな風に稼いでいるのかも紹介してもらいながら、経済(お金)の事だけ話してもらっても面白くないので、食に対する考え方など、どういう想いでやっているのかお聞かせ下さい。


小山

若い頃から海外に出ていて、19歳の頃はロンドン、それからは東京、ニューヨーク…と都会に住んでいたんですが、ニューヨークにいたとき知人から福岡正信さんの自然農法を紹介してもらい、衝撃を受けました。

家は農家で、父親が米を作っていて、農業に興味はあったけど、実際に私が農業を継いだのは10年位前からです。

「食べていく」ということは、生き物にとって根本・基本的なことで、では「一体何を食べるのか、食べたらいいのか」ということをずっと考えていて、身体が強くなるモノ、人間だけでなく他の自然環境に不可をかけないもの…と考えていた中で、福岡正信さんの「何も与えない」という農法に衝撃を受けて、それから試行錯誤をしながらやってきました。

「何を食べるか」ということが、自分の精神を形作っていくのだと考えていて、人間だけでなく他の生き物と共存していくためにも、そこにある自然環境を活かしながら、農薬や肥料を与えない「自然農法」を実践しています。


多田

ここに来るまで、14年間大阪のメーカーの広告など、作ってくる仕事に携わってきました。

厳しい会社で、自分のやりたいことが評価されなかったり、ストレスのある仕事をしてきましたが、「このままではいけない」と思い、「自分自身がやりたいこと」を模索してきた中で、たまたま「炭素循環農法」と出会い、農業が引き起こす環境・食・健康の問題を知り、炭素循環農法ならば健康的な農業を出来ると知り、農業を始めようと思い、思い切って仕事を辞めました。

私も(小山さんが言われたように)「食が精神を作る」と思っていて、作物は勿論、その土にも人の精神が深く関わっていると直感的に思います。

現代は頭を抑えられているような感じがしていて、まずは自分自身から変わりたいと、農業に取り組んでいます。


丸瀬

2013年に10年ぶりに米子に戻ってきました。最初の4年間は東京で建築を学んでいて、建築も好きだったんですが、何か1人で作り上げられるモノはないか?と、「手工芸」の鞄作りという道を見つけ出し、大学卒業と共にヨーロッパで4年間鞄作りをやっていました。本当にやりたいことが鞄作りだったので、20代の頭は全てのエネルギーを鞄作りに注いでいた時期がありました。

そうして、作った鞄が順調に売れて、いろいろなご縁があって、「このまま鞄作りの道に進むかなー」と思っていた時期もあったんですが、ギリシャの暴動など当時のヨーロッパの経済は荒れていて、(ヨーロッパの)同級生はカフェのバイトもないような状況でした。

そういう中で、自分のしたいことに没頭しているという事が、いろいろ考えるきっかけになって、「自分がやりたいことが出来ているということは、自分の命があるからで、それはたくさんの小さな命に支えられている」からだと思い、それは「食であり、野菜達だ」と、ふと思ったことがずっと心に残っていました。

鞄でいくらお金を稼いでも、お金がお金の価値を失う時代も来るんじゃないか。「自分で野菜作れるのか?」と自分を振り返ったとき、自分で野菜も作ることができない。そうしていろいろ考えていたら、もう鞄は作れないと、農業を志すようになりました。


2人の話を聞いて、食って本当に大事だと思います。「食」という漢字を分解したら「人を良し」と書きます。食が整ったら、身体や精神が整って、人が整ったら社会や国も整って、さらには自然環境や自分たちが抱えるたくさんの社会の問題も整っていく…その根源が、「食」ではないかと思います。

たんぽり村まつりが目指す「幸せな暮らし・コミュニティ」の、「幸せ」という漢字も土が2本足で立っています。

土と土の間の二本棒はイコールの意味もあると思っていて、健全な土があるところには、その鏡として健全な自分たちがある。土も+−(プラスマイナス)と書くように、無の空間だと思っていて、足してもいけないし、引いてもいけない。その土の延長上に身土不二、身体も土も一緒という考え方がある。そんな事を考えながら畑に立っています。


現在農薬・肥料を使って慣行栽培で白ネギを作っているのですが、今私がメインでやっている自然栽培という農法ですが、まず最初に自分がご縁になった畑に穴を掘っています。それによって、その土地にどれだけ肥料や農薬が使われたか、また過去に構造改善されてきたのか?見た目は田んぼに見えても掘ってみたら田んぼでも畑でもなかった事もありました。

土地の履歴を見ると、一見畑に見えても下が岩の土地でいくら畑をがんばってもなかなかうまくいかない。

だから、まずは掘って、その場所を知ろうとしない限り、自分が何を作りたいかを押しつけることは自然界からすればもの凄い人間の勝手だと思います。

だから、その土地が本当に胡麻にあっているのか、トマトなのかナスなのかは土地によっても違うし、そうやって自然界に人間があわせていく…それが自然栽培のベースにあります。

その流れで、地域とか行政と向かい合っていて、今の米子や集落の情勢は(米子のシンボルが白ネギであるように)白ネギ一辺倒になっていて、新規就農しようと思ったら「白ネギをやって下さい」と言われるが、それ対して反発して行政や地域と仲良くせず「自分は自然栽培で胡麻しかやらない」のでは、凄く調和できないイメージがある。

一生この場所や農業に携わっていくと覚悟しているので、5年や10年は地域や行政の人と「人としてつながる」ことが大前提だと思うし、行政や農協の人と密にコミュニケーションを取る術として、肥料や農薬をまかせてもらっている。そうして、畑だけに納まらない自分の描く自然栽培というスタイルを共存させてやっている。

そうして八方美人的なところで攻められたりもするが、実際自分たちが置かれている一次産業の現場はとんでもないので、そこで自分のやり方を通すことは、長い目で見たときにどうでもいいようなことで、むしろ問われていることは調和できる心があるのか、無いのかという事だと思っていて、最初の1・2年は白ネギも一緒に作っていたのですが、この2年間本気で白ネギも作ってきたので、そうすると役場や地域の人達も分かってくれて、今年で白ネギが卒業できることになり、来年からは自然栽培100%で胡麻や野菜でいけるようになった。

そうして役場の人達に「丸瀬が自然栽培でやっている」と分かってもらった上でやっていけるようになったので、次のステージがあるなと思っているので、別の展開にいけると思います。


小林

広島出身、環境大学で鳥取に来て、卒業してからそのまま鳥取にいます。

農業をするきっかけは3つありました。

1つは大学時代ハーモニィカレッジ(空山ポニー牧場)と出会って、そこでボランティアをしていて、卒業前に「子ども達と米作りをするプログラムをやらないか」と声をかけられたこと。

2つ目は、卒論を「自給自足の旅」というテーマで、原付で様々な農業をする人を周り、泊まらせてもらって、手伝いながらいろいろ話を聞かせてもらう中で、一番自分にピンと来たのが(耕さない)不耕起・肥料もいれないという自然農でした。草ボウボウの中に元気な野菜がいて、ふかふかな土の上に立ったときに凄く気持ちが良くて、自分もそういう農業がしたいと思いました。

最後は、兵庫県和田山で有機農業をやりながら、お父さんがほぼ1人で6人の子どもを20年子育てをしているアース農場との出会いです。被差別部落の場所ですが「百姓はそれを超えてつながることができる」と言っておられて、

現代の消費社会は低賃金労働や資源の枯渇など様々なものを犠牲にしていることに気づき、まずは少なくても食べ物だけは自分で作ろう…そして、百姓から様々な問題にアプローチしたいと思いました。

収入としては、今は半農半Xで、自分の食べる分を自給しながら、それだけでは収入にはつながらないので、もう半分も農業ですが、ブルーベリーなどを育てて加工する会社に雇われて、現金収入を得ています。


金田

最初に梨を始めるきっかけになったのは、東京の学生時代に、実家の赤崎の祖父が作った二十世紀梨を送ってもらう事があり、学校でみんなで食べたら「美味しい!」と言われました。私にとって当たり前の梨ですが、東京(よそ)では凄いんだ!と思ったのがきっかけです。

その後梨をやりたいと赤崎に戻ったところ、「これからの時代農業は無理だ!」と大反対され、いろいろ探したら佐治で4人の子どもを梨で育てながら楽しく農業をしている方に出会い、その方から「もし本気でやるのなら、果樹園・家・機械を探してやる」と言われ、佐治に飛び込みました。

最初の10年は肥料・農薬をしっかり使いながらやっていました。赤崎では「梨では食べていけない」と言われたように、最初はJAなどの選果場に出していたら「確かにこれは無理だ」と思い、自分で販売するようになりました。それからは「なんとか食べていけるのでは?」と思うようになりました。2011年に佐治中集落の谷上さん(たんぽり村村長)が、青森県弘前で無農薬・無肥料で林檎を作り「奇跡の林檎」と呼ばれている木村さんの新聞記事を持ってきて、興味を持って、本も買って勉強する中で「凄い人だ!」と憧れを持つようになりました。

とはいっても、無農薬・無肥料の自然栽培では梨作りは難しいだろうと思っていましたが、当時倉吉で「木村式自然栽培実行委員会」が設立され、木村さんを講演で呼ぶことになり、仲間に入れてもらって参加したところ、梨は自分1人でした。林檎をしている木村さんも「梨を見たい」と佐治に来てくれて、指導をしてもらうことになり、それがきっかけでまずは5本の木を無農薬・無肥料で始めてみると、出来てしまい、「これはいけるぞ!」と、翌年は25本に増やし、それでもまぁまぁいけたので、さらに翌年は60本に増やし、さらに翌年は120本にまで増やしたところ大失敗!最初数年うまくいったのは肥料・農薬が残っていたせいだろうか?今年で自然栽培を試して4年目になりますが、収量は8分の1、収入は5分の1になり、奥さんにもパート、自分も夜はアルバイト、佐治が始めた民泊に参加し、なんとか収入を得ているところです。

自然栽培で梨を始めてみて分かったのは、同じ自然栽培でも場所によって「いいところ・悪いところ」という様子が全然違っていて、「なぜこの場所の梨はいい・悪いのか?」と研究していけばなんとかいけないだろうか?と思っているところです。確かに経済的には厳しいのですが、自然栽培の梨作りは希望が見えてきて、ますます面白くなってきた!というところで、奥さんと喧嘩をしながらですが、やっていきたいと思っています。


幸田

ありがとうございます。

様々なスタンス・想いで、模索しながらやっておられる5人ですが、共通するのは「食や生き方を切り口にきっかけがあり、まずやってみよう!」と、ハローワークに行って仕事を選ぶという形ではなく、食や生き方と向かい合い、そこから生き方として食=農を選択しているのだと感じました。やはり、とにかくまずは始めて見る。やって、続けていく中でいろいろな事が分かったり、つながって、糸口が見えてくるのだと思います。

次に経済面…専業なのか兼業なのか現実的なところと、兼業ならば半農半XのXの部分を教えて下さい。


小山

私は農作業をやって、作った作物は妻がお菓子などに加工してイベント出店して現金収入を得ています。平日は農作業、週末は出店の形で、専業でやっていけています。一般のサラリーマンに比べたら収入は全く少ないと思いますが、食べるものを自分で作ることが出来ていれば、生活費がかからない。「なるべくお金のかからない暮らしをする」というのが、専業で成り立たせる上では大事だと思います。


多田

私は現在地域おこし協力隊をしているので、その分給料があります。農家としては、作物を作っているというよりも耕作放棄地を開墾しているという段階なので、まだ収入もありません。農家を目指す中で、地域おこし協力隊を活用している…という段階です。将来の理想は、自分1人で栽培・収穫・箱詰め・発送が完結することと、野菜の少量多品種で、宅配セットの商品を作って販売したいと考えていますが、自分1人が食べていける位はいけるのではないかと試算しています。


丸瀬

専業で3年目になります。

1年目は、農業が1年間どんなリズムなのか・どんな販路があるのか分からなかったので研修を受けていて、作付けはあまりしていなかったら、結構時間ができたので、人の手伝いをするなど、農業外所得が結構ありました。

2年目以降は力の限り田畑に尽くすようになりました。収益割合としては、2/3が作物や田畑から得られる農業所得、1/3は補助金になっています。実際既存ではない農業で食べていこうと思ったら「こだわる」必要があり、こだわりの通じる消費者とつながって、こだわって作り、宣伝もこだわって、アフターケアもこだわろうと思うと、1人では難しい。ですので、地域おこし協力隊制度のように、私は補助金を利用して基盤を整えている段階ですが、もう「補助金をもらい続けて農業をやる」というビジョンはなくて、先ほど慣行栽培=補助金をもらっている白ネギをやめるので、今後は助成金無しでやっていく覚悟しました。

自分のビジョンが明確になったときに、その先に利用できる助成金があって、行政と協力しながらできるのならすばらしいのですが、助成金があるおかげで自分のやりたいことのブレーキになるなら、補助金にしがみついて白ネギを作るのではなく、私の場合それを切る事を選ぶタイプです。

この2年間地域の行政と関係を作ってきた中で、今でも庁舎で机を挟んで話すと話はかみ合わないのですが、畑に来てもらって話すときちんと通じることが出来る。それは、公務員は私情を挟んではいけないという事も理解できた。

その中でリスクを負わずに、助成金をもらいながらつきあっていくのは非常にありがたいが、それでは自分の行きたいところには行けないので、補助金の関係から卒業して、これからは人として「自然栽培のやり方・自分を見ていてくれ」というこれまでとは違うスタンス・関係性で、そこから米子市の道を共に作って行けるのではないかと考えています。


幸田

今は大規模農家や農薬や肥料を使った慣行農法にしか補助金が出ないけど、丸瀬君のように行政と関係性を作った上で、補助金に頼らず新しいスタンス・ビジョンを見せることで、自然栽培や少量多品種の零細農家にも行政が応援するようになれば、まさに今日のテーマにもある「食を職にする」につながっていくのではないかと思いました。


小林

私の収入のほとんどは先ほど話したブルーベリー栽培の手伝いです。その他はイベント出店くらいですが、私の場合も食べ物は自給しているし、ほとんどお金もかからないのでなんとか生活しています。

「自分が何をしていきたいのか」という事はよく考えていて、アルバイトのように「自分ではなくても出来る仕事」だとあまり力も入らないし、もっと自分にしかできないこと、生み出すことに力を入れていきたいので、現在は次の拠点を探しながら、人を招くようなイベントができるようになればいいなと思っています。


金田

私の場合は梨から始まっているので、もうこの道を行くしかないと思っていて、「梨の自然栽培が難しい」と思うようになってからは自給用・少しでも販売できるように、休耕地を利用して3反ほど畑や自然栽培の米作りを始めるようになり、なかなか慣れない仕事で出来たり出来なかったり試行錯誤していますが、改めて「梨って儲かるんだ・儲かったんだ」と実感するようになりました。自然栽培の梨は市場価格の3倍くらいの値段が付きますが、農薬や肥料代がかからないので利益率がとてもよい…という事は頭では分かっていますが、難しい(収穫できない)。

「どうすれば自然栽培の梨を作れるか」模索しながら、3人いる子どもを育てていかなければならないので、梨で収入が少ない分をそんな状況で畑や田んぼ、民泊や妻のパート、夜のアルバイトで収入を得ながら、模索している最中です。


幸田

人生ずっとうまく行くということはないし、「これをやれば成功する」というような答えの出るものでもないので、何か考えるきっかけやヒントになればいいなと思います。

今回たんぽり村まつりで集まった出店者の多くも、特に飲食店の方々は食にこだわっている人がほとんどで、様々なスタンスで実践しておられます。どんな想いでやっているかなどを、今回配布している「たんぽり村まつりパンフレット」にまとめています。興味のある方はぜひゆっくり出来る夜に話したり、直接会いにあったりと、これを機会につながってもらえたらと思います。

最後に「これから食の分野で仕事にしていきたい」と思っている人達に対して、アドバイスや失敗談に加えて、一言自分の出店ブースの紹介や宣伝をお願いします。


小山

まず失敗談ですが、3年前まで父親に教わりながら慣行農法・減農薬でやっていたのですが、2年前から無農薬・肥料に切り替えると一気に収量が1/10以下になって、加工してイベントに販売するどころか、自分たちが食べるお米がない状態になりました。それから、どんな事があっても食べる分は確保しようと、農薬は使わないけど化学肥料は使う田んぼを1枚作るようになりました。

これまでいろいろなやり方をやりながら「本当に自然って何か」を考えてきましたが、米作りにしても2000年ほど前から人間が口に合うように改良していて、野菜にしても人の手が加わっているものばかりです。そんな中「人が全く手を加えない」というやり方をした中で、紫蘇のように作れるモノもあるけど、作れないモノもある。作れないと言うことは、食べられない=生きていけない。やはり“米”は3食食べても飽きず、カロリーがあって、連作障害が無く、2000年前からずっと研究していて、もしかしたら同じ田んぼで1000回も米を作っている。

「何が正しくて、何が間違っているのか」ではなく、「どういう生き方、ものの証明の仕方、ライフスタイルなのか」によって、次の世代、先の世代の人達に「何を伝えていけるのか?」を農業の仕方や生きる中で考えています。

よく妻に言われますが「私がこれだ!」と思って突っ走ってたくさん失敗もしてきましたが、「何が正しいか」は今答えが出るものではなく、100年後・200年後の人しか判断できない訳で、失敗の中でいろいろなやり方・考え方を吸収して、よりよい・楽なやり方を次の世代に伝えていけたらと思います。

店の宣伝ですが「パイポン畑」という屋号で、全て薪で仕込んだ揚げ餅やお菓子を販売しています。今日泊まって、明日までいますので、ぜひ来て下さい。


幸田

皆さん本当にこだわってやっているが、「これ・自然農じゃないといけない!」みたいな考えではなく、柔軟に考えておられるのが印象的です。


多田

種をまいて野菜を育てることをしたいのですが、まだ開墾している段階なので開墾についてお話しします。3反2畝の放棄されていた畑を耕耘機やトラクターを使わずに開墾していますが、草が猛烈なので、まずは草刈り機で刈って、残った根本は鎌で丹念に取り除き、ようやく平鍬が出てきます。現在20mの畝が30本立ったような状態です。自分でも「馬鹿なことやっているな」と思ったりしますが、鎌で根を刈り取る とき時などは、身体と土の距離が近いので、土の香りや小さな虫やキノコがはえているといった発見があり、土を強く感じます。機械を使わないので文字通り 「身体一つで土に向かっている」と実感できます。ただ商売にはならないので今後機械の導入は考えていますが、今これらを実感できることは本当に価値のあることだと思っています。


丸瀬

先ほど多田さんが「鍬一つでやるって楽しい」と言われましたが、私も理想郷を目指した畑仕事をしていて、ネギと胡麻が中心ではありましたが、100種類位の野菜も蒔いていました。100種類は理想の中で「作った野菜が食卓にあがること」をイメージしながらやっていましたが、どうしてもテンションの上がらない作物があって、みんなが「○○美味しいよね」と言われても、自分が好きでなければどうしてもテンションが上がらないのがよく分かっていて、ニーズにあわせることは大事だけど、自分が本当にやりたいことをやる!と言うことが大事だと思ったのが失敗談の1つです。

今年から米作りを始めたのですが、本当に楽しくて、今は「胡麻のアトリエ」ですが、将来「米のアトリエ」になるんじゃないか?と思うくらい楽しいです。

今30種類位に減らして作ってますが、夏〜秋は98%位自分の食材しか食べませんが、この3年間“米”が欠けていました。「親戚が作っている」「手が回らない」「新しく機械を買わないといけない」「時期が来たらやろう」とずっと見て見ぬふりをしていましたが、今年からやることになって、今後稲刈りがあって、「人生で初めて、自分で作った米を食べる日」が来ますが、まだ食べたこともない、美味しいかも分からないけど、「米があれば野菜がなくても生きていける!」、米は本当に命の源だと感じていて、その楽しさをもっとたくさんの人に感じて欲しいと思っていて、それを感じてもらうには、来てもらって、「この田んぼを一緒に作りましょう」、そういうプロジェクトを行政と組みながら6ヶ月・30人1チームプロジェクトとかでやりたいと思っていて、それを通じてコミュニティの種にもつながるし、何よりも「自分が携わって作ったお米が、自分の命を食べていく(作っていく)日々が始まる」と思ったら、自分1人ががつがつ自然栽培の面積を拡大していくよりも大きなエネルギーが動き始めると思う。


実際携わってみたら、「(米が自分で)出来る」という事が実感できる。

田んぼの借り方、機械の準備仕方、米の作り方は一般の人にはイメージできない遠い世界の話になってしまいますが、普段畑や田んぼに立っている自分たちにとっては、その人達を起点に、それぞれの人達が出来ることで携わっていくという仕組みが、これからは起こりやすいし、そのための自分の役割だと感じていますので、そういう事に興味があったらぜひ声をかけて下さい。

今日は「胡麻のアトリエ」の胡麻商品の他、胡麻の後に蒔く大麦を製粉して作った麺や焙煎して作った麦茶などを扱っています。


幸田

1人が10倍の面積をするよりも、10人でやるほうが凄いエネルギーがうまれると思うし、

今年から私も米作りを初めて、先日実行委員会のメンバーにも食べてもらったのですが、本当に誇らしいというか、自分の子どもにもそんな米を食べさせたいと思いました。

今は6畝の小さな田んぼなので200kg位の収量があって、自給率は50%くらいですが、作らなかったら0%です。私も米を作ってみて、米は野菜に比べても本当に特別な感じがしました。

それは作ることでしか体験できないので、それをみんなにも体験してほしいいと思います。


小林

猪や鹿に食べられたり、人の田んぼが近いと薬をまこうか?とか、失敗は毎年いろいろありますが、とりあえずやってみないと分からないので、まずやってみることかなと思います。

最近感じるのは、前は人を呼んで一緒に作業をしたり、ご飯を作って食べたり、イベントを企画していたけど、バイトもしながら田畑面積も増やしたので、農作業が作業的になって楽しくなくなってきているなあと感じています。食は食べてもらってこそ、やりがいがあるので、今は1人暮らしで食べる量もしれているので、これからは作ること以外にも力を入れていきたいと思いますので、ぜひ一緒にやりましょう。今回は受付の隣で野菜を売っていますので、遊びに来て下さい。


幸田

小林さんは食糧は自給しているけど、農業をばりばりして稼ぐ!っていうよりかは、子ども達と一緒に田んぼをするなど、農業を通じて何かを伝える・体験してもらう…という教育的なスタンスで農業に携わっています。そういう事に興味がある方は、ぜひ小林さんを訪ねてみると面白いと思うので、ぜひ受付まで来て下さい。


金田

今失敗したなあということは明確にあって、230万円ほどした農薬を散布する乗用の機械「スピードスプレーヤー」を買ってしまったことです。これを使うと地面も固めるし、無農薬どころではなく、全く使い道がありません。ですので、これから農業を始める方は、新品の機械を買わないことかと思います。

また私の子どもの時代にナイフで鉛筆を削るようなことをしてこなかったので、未だにナイフが使えないので子どもの頃にそういった体験をすることが大事だと思います。

また、売れない梨や野菜が出たときに、それを加工するどころか、漬け物の作り方も分からず、取ってきた間引き菜もよくそのままでひからびていました。料理する技術も学んでこなかったツケを感じています。

無農薬の梨は少なく人気があって、「味が違う」とよく言われます。今年は無農薬の梨はもうなくなってしまったのですが、来年以降早い者勝ちになりますが、希望者はご連絡下さい。


会場から意見

農業は専業、兼業に加えて昔の百姓のように「自分で何でもやる」という“全業”があると思います。皆さんにも、専業でも兼業でもなく、全業として農業をやってもらいたいと思います。もう1つ、皆さんには浄化作用ではなく、異化作用…1+1が全く違うモノになるのが触媒ですが、触媒のような働き方をしていって欲しいと思います。よろしくお願いします。


幸田

今回のトークは終わりますが、これを機会に新しいつながりがうまれたら嬉しいです。もっと詳しい話が聞きたい方は、それぞれブースも持っていますので、そちらを尋ねてみてもらったいいと思います。明日は今日のような形で「地域での子育て」というタイトルでトークしますので、ぜひまた聞きに来て下さい。