トップ > 開催の経緯(主催の想い)


はじめまして、代表の幸田と申します。私がなぜ”たんぽり村”の開村に至ったのか、私の活動と動機とあわせて紹介させてもらいます。


大学を卒業し、これからどうやって生きていこうと考え中で、”自分が心地よいと思える暮らし・働き方・生き方がしたい”と思い、9年前にそれが実現できそうな現在の古民家をかりました。

10年近く放置されていた家だったので、家の中はもちろん、庭も荒れ果てた状態でしたが、こじんまりとした小ささの平屋の古民家に、広い庭、山と川に囲まれ、道から下がっているという隔離感は、ある種秘密基地のような、”何か楽しいことができそうだ!”という直観がありました。

そこで最初の4年間ほどは、近隣市町村の飲食店で仕事と料理の腕を磨きながら、少しずつ空間を整えつつ、結婚と30歳を機に独立、”暮らしを作る”こと、今の活動に専念し始めました。


お金はないけど時間はある

”自分がしたい暮らし”は自分の中にしかないので、家も何もかも全て、自分でやりたいと思っていました。

9年前は料理の技術も、家を建てる技術も、電気を作る技術もありませんでした。

しかし、自分でやれば、見た目は悪いかも知れないけど、やりながらいろいろアイデアも出てくるし、出来たものは愛着があるし、何よりもそれが自分のスキルとして身につきます。

そして、それらがあわさった”私の家・暮らし”はある意味自給自足の技術が詰まった博物館のようになって、「こんな家・カフェを作って欲しい」「自家発電の講習会や、設置をしてほしい」などと、暮らしから仕事がうまれるようになりました。

基本的に買わずに、廃品や廃材を拾ってくる・もらってくるので、お金もかからず、技術が身につく、仕事にもつながる。

普通の人は、働いてて時間はないけど、お金はあるので、人に頼んでやってもらう。だから修理もリフォームも出来ない。何をやろうにもお金がかかってくる。


自分に必要なものを、0から考え、自分で作っていく

暮らしの基本となる衣食住を、廃材・廃品を集めて自ら家を建て、トイレや生活排水も敷地内に循環(肥料となり野菜となって口に入る)する設備を最初に手がけた後は、インフラもなんとかしたいと、薪ストーブの導入の他、電気も自家発電システムを組んで今では大半を自給しています。

子どもが出来てからは子育ての場所作り、”好きなことを仕事にする”を応援する創業塾など、自給自足・循環型をテーマに、”無理なく・楽しみながら”をモットーに、でもきちんとお金も”好きなことを仕事に”して稼ぎながら、江戸時代に戻るでもない、原発や格差に象徴される後生にツケを貯め続ける現代システムではない、”好きな場所で、好きな仕事をする。こんな生き方もできる”という第三の道・選択を、子ども達に伝えたいと、自ら生き方を通して実践してきました。

設計図を書けば理想の家ができる訳ではなく、やりながら目の前のものを見ながら、理想の家ができていくのです。

最初から設計図があって、その通りにできるものはつまらない。

やりながら、ぶつかりながら、つながりながら、学びながら、新しいモノを創っていきたい。家も、生き方も同じだと思います。


そんな中、自分の暮らしは地域(共同作業、もらいもの、田畑の借り受けなど)によって支えられているので、持続可能な暮らしには、持続可能な地域=コミュニティが必要だと考え、過疎化・高齢化、地域消滅などが叫ばれる中、それじゃあ”どんな地域”がいいのだろうか?を考えるようになりました。

そして、既存の集落の中から理想に近づけていくのはとても大変なので、そんな地域がないなら、仮想でもいいから作ってしまえ!持続可能なコミュニティ=地域の自給を目指して、理想的な場所と、地域に誇りを持っていて、現状(社会や地域)に危機感を持ち、模索している方々との縁があったこの”佐治町”を舞台に、2014年たんぽり村を一緒に主催することになりました。



代表:幸田直人

33歳、妻・2歳・0歳の4人暮らし。鳥取県北栄町出身。

三朝を選んだ1つの理由は、毎日安い料金(男なら24時間無料、女性でも100円位)で毎日温泉に入れること。今でも毎日温泉がよいです。

”食べること・暮らすことを楽しむ”をテーマにした活動「いちまいのおさら」を展開

2015年春には、自給自足の暮らしを楽しみながら体感できる「暮らしの見えるカフェ いちまいのさら」を開店

他、オーダーメイド大工、自家発電設備設置など、百姓を目指して様々な仕事を展開中。

HP : いちまいのおさら

FB : 幸田直人いちまいのおさらたんぽり村まつり